塔の家(名建築に学ぶ)
名建築に学ぶ設計者:東 孝光

1933-2015
大阪大学理工学構築工学科卒業
坂倉準三建築研究所
東孝光建築研究所設立
住宅を中心にアイディアに富んだ住宅を数多く手掛けた建築家である。その姿勢は住宅だけにとどまらず集合住宅や公共施設などの設計も手掛けた建築家
塔の家 1995年

東孝光さんの作品の中で一番有名であろう「塔の家」。
この狭小住宅は東さんの自邸です。
建築家の狭小住宅の自邸はちょっと珍しいですよね。
一般の人にはちょっとマニアックかもしれませんが、建築学科に進んだり建築が好きな人であれば一度は耳に目にしたことがある作品。
現在、東京の扁平な敷地や超狭小地に計画されるような狭小住宅の先駆け、この住宅がなかったら今の狭小住宅の形はなかったんじゃないかと思わせる作りになっている。
こんなに狭い敷地なのに、駐車場や住空間などの必要な室を全て満足し、吹抜けや階段の位置などを工夫しながらこの狭さを感じさせない設計手法はとても参考になる作品。

日本の建築の巨匠、安藤忠雄さんも「塔の家」の影響を強く受けているそう。
確かに安藤忠雄さんのRCで作る狭小住宅には何か流れのようなものを感じる。
6坪の土地に建てた「都市住宅の金字塔」——東孝光「塔の家」
東京・外苑前、通称「キラー通り」沿いを歩いていると、コンクリート打ちっぱなしの細い塔のような建物が目に入る。これが「塔の家」。建築家・東孝光(あずま たかみつ、1933〜2015)が1966年、33歳のときに建てた自邸兼事務所だ。
知らずに通り過ぎてしまう人もいるだろう。しかし建築史においては、日本の都市型狭小住宅の出発点として、今なお語り継がれる一棟である。
6坪の土地に、どうしても都心に住みたかった
塔の家が建つ敷地は、わずか20.56平米(約6.2坪)。三角形をしたこの土地に、地下1階・地上5階建て(中3階あり)、延床面積65平米の住宅を積み上げた。
東孝光は大阪出身で、坂倉準三建築研究所のスタッフとして新宿駅西口地下広場の設計を手がけるために上京していた。地方から都心の暮らしに憧れていたわけではなく、職場と住まいが近いことを重視し、「どうしても都心に住もう」という決心のもとにこの土地を選んだという。郊外の分譲住宅地なら70坪ほど買えるだけの予算で、都心の6坪を手に入れたというから、その選択の思い切りがうかがえる。
扉のない家、間仕切りのない暮らし
塔の家最大の特徴は、玄関を除いて扉が一切ないことだ。トイレも浴室も、仕切る壁や扉を持たない。各階は壁から突き出した階段でつながり、吹き抜けを介して光と風が上下に巡る。狭さを感じさせない開放的な空間は、間仕切りを設けないという思想そのものから生まれている。
階段も単なる移動のための通路ではなく、座って本を読んだり、家族と話したりする生活の居場所として使われていたという。極限まで無駄を省き、ミリ単位で計算された設計は、狭さを制約ではなく可能性に変えてみせた。
「住吉の長屋」への影響、そして建築史への刻印
打ちっぱなしコンクリートによる狭小住宅という手法は、10年後に建てられた安藤忠雄の「住吉の長屋」にも大きな影響を与えたとされる。塔の家は、その後の都市型住宅の「古典」と呼ばれるようになり、2003年にはDOCOMOMO JAPAN選定「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」にも選ばれた。
東孝光自身は、塔の家を皮切りに「阿佐ヶ谷の家」など一連の都市型住宅を手がけ、1995年にはその功績で日本建築学会賞を受賞している。
今も続く家族の物語
塔の家は竣工後60年近くを経た今も現存し、見学者を受け入れている。東孝光の長女である建築家・東利恵氏は、この家で育った。「星のや軽井沢」「星のや東京」といった話題作を手がける建築家としての原点は、まさにこの塔の家での暮らしにあるという。
2018年末からは、利恵氏の事務所スタッフがこの家に暮らしているという。利恵氏が「自分が住めなくなった後にこの家をどう残すか」を考えるための試みとして始まったこの暮らしは、すでに6年以上続いている。
おわりに
塔の家は、ただ小さいことが珍しい家ではない。都心に住むという意志、扉や間仕切りを捨てる思想、そして家族の暮らしが積み重なった年月——その全てが、この6坪の土地に凝縮されている。
狭さの中にどれだけの豊かさを見出せるか。半世紀以上前にこの問いに挑んだ塔の家は、今の都市住宅を考える上でも、なお多くを語りかけてくる建築だ。
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